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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2007年12月11日

「民話って何だろう? 3 」

知り合いのある先生から、貴重なアドバイスを頂き、感激しています。

----引用----
その際、ぜひご考慮願いたいことは、
「ひらがな」を、どのように使うかという点です。
方言の音を実感させるためには、ひらがなを駆使しなければなりません。
音を実感させつつ読みやすい表記、この二点を両立させなければならないことが、「方言」による民話の採録の難しさかと思います。
それから、漢字の使用比率を通常の文章よりも下げなければ、
文自体に硬さが生まれてしまいます。
特におばあちゃんによる語りの部分は、配慮が必要かと思います。
方言の資料として記述しているわけではありませんので、
正確に音を再現することよりも、山形の各地域の方言を実感させる表記を見つけ出すことが肝要かと存じます。

先生、アドバイス本当に有難うございました。

私自身、五里霧中・暗中模索・試行錯誤、悩み・迷い・練り直しの繰り返しですが、毎日こうして夢中で取り組むことが楽しくって、ありがたくって、なんだか民話の持つ不思議な温かさに包まれています。

また、読者の方で、もしお気づきのことがありましたら、是非、宜しくお願いいたします。
  


Posted by ほんねず at 11:04Comments(0)民話のこころ

2007年12月10日

「民話って何だろう? 2 」

方言で語られる民話の味わいは、リアリティが格別なような気がする。でも、方言で書かれた民話は、どこか白々しいと言うか、胡散臭く、嘘っぽぐなって志う。
青森の方言詩人で「高木恭造」と言う人がいる。有名だからご存知の方も多いと思う。伊奈かっぺいさんのトークライブを聞きに行くと、たいてい、高木先生の詩を朗読してくれるから、聴いたことがある人もいるかもしれない。
2007年10月24日NHK 視点論点で、アメリカ人の詩人、アーサー・ビナードさんが、高木先生の詩の素晴らしさを、熱心に語っておられました。彼は、高木先生の方言詩集「まるめろ」を、英訳してアメリカで出版されています。
ここで、考えさせられることは、方言は話し言葉であり、それを文字に置き換えることの困難性をどう克服していけばいいのか、という課題のことです。
日本語は、表意文字である漢字と、表音文字であるひらがな・カタカナという三種類の文字で表記すると言う、世界でも稀な文字体系があります。
確かに、方言の発音は、この三種類の文字体系を駆使しても、微妙で読者に本当のところは伝わらない場合もあるでしょう。
それでも、アーサー・ビナードさんのように、書き手の強い思いがあれば、なにかしらきっと伝え残せることもあるかもしれない。そのことを信じて、私も、山形のとんと昔を綴っていけたら幸せです。

[026] アーサー・ビナード/詩人 「ことば」は、詩人のパートナー - インタビュー | カフェグローブ
◆ http://www.cafeglobe.com/news/interview/026/

解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「方言の横町バまがたら」
◆ http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/5267.html
  


Posted by ほんねず at 05:05Comments(0)民話のこころ

2007年12月09日

「民話って何だろう? 1 」

こうして、民話を綴っていて、ふと思った。私にとって、民話って何だろう、と。別に民俗学者でもないから、難しいことはわからない。
ただ、子供のころ、お袋やじじばばに、よる寝る前に聞かされた、数々のとんと昔は、本当に面白かった。私などはマンガもよく読んだし、テレビも大好きで、大きな影響をうけたはずであるが、とんと昔は、少し別な意味があって、身体的距離感と言うか、マンガやテレビで見聞きする物語の、さらに底のほうから、ときにかすかに、また、あるときは輝いて沁みこんで、今の私を作ってくれたのかなと感じたりする。
それは、やはり、言葉の力が大きいと思うのである。とくに、素朴で飾りっけがなくても、方言で語られた民話は、自分の身の丈にあった想像力を大きく育んでくれたのだろうと思う。やはり、これはとっても豊かなことであり、幸せなことであったと思う。
民話さん、ほんてん、ありがどさん!
  


Posted by ほんねず at 11:27Comments(0)民話のこころ

2007年11月24日

方言ばなじょうして書くが…1

方言は話し言葉です。民話を語り継いできた庶民の話し言葉が方言そのものなのです。それを承知の上で、文字にうつしていく作業は、難しいです。音の問題としてはアクセントやイントネーション、文字には転写できない、微妙な発音の連続です。わたしなりに、工夫して、私なりの表現方法を見つけていけたら、このブログを初めて見て、しみじみ感じているところです。  


Posted by ほんねず at 12:34Comments(0)民話のこころ

2007年10月25日

「囲炉裏のぬくもり」

おぼこの頃、夜、寝る前にばんちゃにせがんで聞いた、桃太郎やかぐや姫、浦島太郎に因幡の白兎。カッパ淵や座敷ワラシ、おしら様、人を喰らった犬神様の身の毛のよだつ怖い話、猟師とクマとの知恵比べ。姥捨山や水子地蔵、近所のだれそれがタヌキにばかされ、裏の嫁っ子がキツネに憑かれて行き方知れずになった話。いっぱいの『とんとむかし』思い出しったけのよ。
ああ、おもしゃがったなえ。
囲炉裏の薪がパチパチ音たて、橙色の炎をゆらめかせ、煤の匂いが家中に充満していたっけもな。あそごには、懐かしさと人が生きている温もりに溢れていだっけな。
自然と共に、自然にならい、自然に感謝するつつましい生活があったっけな。自然と人間は一体のものだったもの。自分を大事にするのと同じように、自然をいとおしみながら、長い年月、その土地に暮らしてきたんだ。
人間が人間であるごと、嗚呼、今はこの当たり前のことが見失われがちだもねぇ。んだがら、素直に、素朴に、素敵に伝えられ、来た、民話の数々。それらを。単なる知識ではなく、生きた知恵のありかとして、まんずあんまり飾らずに紹介していぐさげ、よろしぐ頼むず。  


Posted by ほんねず at 14:05Comments(2)民話のこころ